大嫌いな石原慎太郎ですが、
来年で任期が終わるんだからさっさとやめて本業である作家に戻ればいいのに
とか思ってるんだけど、

最近の石原慎太郎を観察してたら、
「2016年のオリンピックの東京招致を言い出したのは自分なので、
責任をもってやる」とか

「首都東京のかじとりを引き続き命がけでやっていきたい」とか言っていて、
オリンピックに関しては、いまのところの予想では
アジア(北京)→ヨーロッパ(ロンドン)が決まっていて、

その次はアメリカ(都市未決定)が有力なんだそうで、
たぶん流れからいうとまたアジアになるって事はないから、
東京になる可能性は限りなく低いと思わるのです。

そんな事ちょっと考えたり調べたりすれば
誰でもわかることなのに、

なお「オリンピック」をダシに使って都知事をやり続けたいって事は、
なんか都知事の座を他に譲りたくないような
ウマイ汁をチューチュー吸ってるんじゃないかと勘ぐりたくなってしまいます。



実際、ここのところの都議会をチラチラみていたら、
石原慎太郎ファミリーが税金を「どんどん」使って、
豪華ホテルに泊まってみたり、クルーザーを乗り回してみたり、
あげくのはてに芸術進行とか言いつつ、息子を海外出張させたり、
公共事業に斡旋したりと、やりたい放題です。

・・・ていう事を共産党にチクチクやられているんだけど、
いつも記者の前ではあんなにあんなにあんなに偉そうな石原慎太郎も
なんだか歯切れが悪いコメントをしてみたりして、
TVの前で「もっと言ってやれ」と思いつつ見ておりました。

石原慎太郎とは直接関係ないけど(あるかも)、
東京都の人権施策推進でほんとは「同性愛者の人権」も盛り込まれるはずだったのに、
性同一性障害とかはビョーキだからOKで、ホモは「性的嗜好」であって、
自分で選んでやってる事なので人権は認めない、みたいな流れになっているのらしい。


ホモはビョーキだとか自分で選んだとか言うのは、
どっちも間違いだと思っていて、

ノンケの人が男なら女を、
女なら男を自然と求めるように、
ただ、肉体的・精神的にパートナーとか
性的に求める相手が同性だったというだけのことなのだが、

男が女の出産の痛みを永遠に理解できないように、
ノンケの人にはそういう事を理解するのはムリだと思う。
それはわかる、理解してくれとか思ってないんですけどね。



日常レベルでも、身近にそういう人がいないとか、
あとはTVをはじめとしてマスメディアの影響で
一部の極端な(お笑いオカマタレントみたいな)イメージが刷り込まれて
いるから誤解される事も多くて、

全然タイプじゃない男から「えー、襲われたらどうしよう~」とか
「ほれほれ、こういうのがいいんだろうぉ~」みたいな事をされると、

「あんただって女なら、穴さえあればなんでもいわけじゃないだろうに」とか
冷たい気持ちになったりもするんですけどね。



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あとは、「ホモを拒絶したり嫌う事で自分の男を保つ」というタイプの人もいる。

何を想像してるのかはよく知りませんが、
いろいろと想像して、それが生理的にダメなのはあると思う。

それはまだいいけど、そういう態度をとっておかないと
「自分もホモだと思われちゃう」みたいな心理が働いてる人に対しては、
なんか男としても人間としても、絶対仲良くもなれないし、
尊敬もできなし、共感も理解もできないから、
そういう「男らしくない」人にはあえてこちらからは近づかないようにしてるけども。



逆に、器が大きいというか男でも女でも、
自分自身をしっかり持っている人は、別にホモを許容したところで何の影響もないし、

仮に誤解されたとしても、そういう下世話な憶測とかをする人間よりも、
自分と自分の仲間を大事にするというスタンスなのだろうと思えるので、
人として尊敬できるし、

安心とか信頼とかってそういう事なのだなと思えるのだ。
ちなみに石原慎太郎はその真逆な感じが個人的にプンプンにおいます。

で、東京都をはじめとして、人権云々とかも含めてだけど、
やっぱり同性愛擁護にまわってしまうと「●●さんはホモなんではないか」とか
そういう品のないうわさをされてしまうかも、という意識が働いているのか、

現状を把握する気もないのかよくわからないけれども、
いまいち話が本質に近づかないというか、
肝心な議論がなされるところまで至らないのが、
すごく残念なのでした。

とりあえず石原慎太郎センセがさっさとお辞めにやれば、
なんかちょっとは変わるかもしれないと、
あんまり根拠もなくそう思ってます。


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